2016年10月18日火曜日

佇んだ夜に響くひとりごと












クソの肥溜めブログ。
全世界、多分5人くらいの読者。
いつもありがとう。
毎回、どうしようもない気持ちの時に更新しています。
ファック クソメンタル。






毎日、ほとんど、同じ繰り返しで過ごしています。
それでも少しずつ、本当に少しづつだけど、僕の周り、世の中は、良くも悪くも変わっていってるみたいで、
毎日が忙しないせいで、その少しの変化にも気づけず、いつも何かを失ってから気づくバカものなんですよ、僕は。

去年の今ぐらいの時期、
毎日一緒に過ごしていた犬を亡くした。
僕のランドセルを噛みちぎったり、靴下に穴を開け狂った犬だった。
僕が5歳くらいのときにやってきて、
思春期をともに過ごしてくれたんだ。
夏はよくお父さんとドッグランに行った。
思い出なんて数え切れない。

15歳だったんだけど、犬にしては長く生きてくれてさ。
死んじゃった時は途方もなく悲しくて、
急いで実家に帰った。

お母さんの目は腫れちゃってて、ひどいものになってたし、
ブン太は固まっちゃってて、凄く冷たいし、声を投げかけてももちろん返事はないし。
その夜、僕は飲めないお酒を飲んで、お母さんと大きな声でお話をして、昔話とかそういうの。
ゲラゲラ笑ってた。
今思うと、僕もお母さんもどうしようもなく悲しかったんだろうな。
あの日の夜、家の中は、僕らの笑い声とお線香の匂いでいっぱいだった。

ブン太の他に、チロっていうのもいて、 
こいつは確か10歳くらいだった。
どんどん老衰していくブン太をわかりやすいくらい毛嫌いしてて、
近くにくるだけで吠えたりしてて、本当に性格の悪いヤツだ!
なんて思ってたんだけど、
あの日の夜だけは凄く静かだったのも印象に残ってる。

僕たちの空気を察したのか、それとも終わりが来たことを感じたのかはわからないんだけど、
その夜からチロは全く吠えなくなった。

1週間はとても悲しかったけど、
そのあとはいつも通りの生活。
実家に帰ったときは、お線香をあげて、元気にしてるかなあって思いに馳せていた。
それも半年もすれば、お線香もあげなくなってしまってさ、
今思うと、犬を亡くした自分が悲しかっただけなのか。そんな自分が大嫌いだ。




昨日の夜、チロが今年の年越しは難しいって親からラインが来た。
肺に腫瘍ができてるんだって。

実家に帰ったときはお世辞にも体調は良さそうじゃなかったけど、
ジャーキーをあげるときだけはシッポを振ってガツガツ食べていたし、
なんだかんだあと5年くらいは生きるのかと思っていた。 
何かが無くなったり失くなったり亡くなったりするのは現実味がない?

何かの思い出は忘れないようにしないと忘れてしまうけど、
去年の悲しみはまだ全く忘れてない。
現実味がありすぎて、どうしようもない気持ちが溢れてる。

ブン太が居なくなって、1人で居るのが寂しかったのかな。
なんて、僕が実家に帰ったときは死ぬほどジャーキーをあげるから、
頼む、僕が死ぬまで、誰も居なくならないでくれよ。




ロストサマーデイズ

繰り返す季節に 僕らを重ねても、
届いた答えは いつもと変わらず。
掴めない僕は 未だ夏の中。

どれほどの速度で 駆け抜けていけば、
あの日の僕らに 辿り着けるのだろう。
「失くしたわけじゃない 時間が過ぎただけ。
変わらないわけじゃない 変われなかったんだ。」
佇んだ夜に 響く ひとりごと。

気づけば此処には 誰もいなくて、
気づけば僕らも 薄れていって、
もう何度過ぎた日々に 声を投げかけても、
過去を繋ぐ手が離れてくだけ。

さよなら 僕らの夏の欠片